一級建築士として、延べ20年ほど家を設計してきました。
そんな人間がいま、片付けの仕事を始めようとしています。
「なんで建築士が片付けなん?」とよく聞かれます。もったいない、とも言われます。せっかく資格があるのに、と。
はっきり言って、変態です。
そりゃそうだ。逆の立場だったら僕も同じ事を言うだろうなと思います。でも僕の中では、ちゃんと理由があるんです。
そして、だからこそ、これからブレずに仕事をしていく上ではっきりと言語化しておく必要があると思っているので、この記事を書いています。
これは、前回の記事「なぜ、一級建築士の私が、今さら「片付け」を学び直しているのか。」の続編です。もし興味がありましたらお読み頂けると嬉しいです。
「なんで建築士が片付けなん?」
一言で答えるとしたら、こうなります。
片付けは、人を幸せにする。
そう思っているからです。
じゃあ建築は、人を幸せにできないのか?
建築関係の方に誤解を招く表現になってしまったらごめんなさい。
実際、建築は人を幸せにできると思っています。
というか、建築は人の幸せの土台です。
インフラなんです。
でも建築って、意識されないんです。
一般の人は、ああ、良い建築だな、ってあんまり思わないはず。
むしろ、あえて意識させないことが上手な建築の条件とも言えます。
昔から、建築の持つそういう「精神性」に惹かれてきました。
ただ、大多数の人々にとって、建築は、やっぱり「物質」なんです。
人が集まれる、暮らせる、という機能を用意する「箱」。
インスタ講師の話
先日、インスタスクールのオフ会で、スクールのトップの方と話しました。7年前、世間が「インスタ映え」で騒いでいた頃から、インスタをビジネスとして見ていた、知る人ぞ知る方です。
その人に、こう言われました。
「ようすけさんは、僕たちには見えていない視点で物事を見てるんじゃないか」
正直、その時はピンときませんでした。でも、これがこの記事の核心になります。少し抽象的な話になりますが、お付き合いください。
その方はSNSという業界にどっぷりと浸かっているので、建築という「質量のある世界」にとても憧れがある、と言われていました。
SNSというのは「質量のない世界」。
建築に象徴されるリアルな世界とはある意味真逆のデジタルな世界。
だから、それがめちゃくちゃコンプレックスなんだそうです。
リアルへの憧れ。
リアルとは、実態があること。
物質的で、質量があること、とも言える。
SNSは、建築などの実態のあるものの、一種の表現であり、SNS自体に価値はない、とまで仰られていました。
その時思ったんですね。
やっぱり、建築って「物質」なんだなと。
そして、建築というものを「全体」として捉えたことがない、と仰られていました。
僕からすると、建築とか部屋は、あくまで自分の目で見えている世界でしかない。だから建築士のようすけさんは、僕たちが見えていない視点で物事を見ているんじゃないか、と。
そう言われてハッとしました。
設計者の方なら分かると思いますが、設計している時って、自分が図面から離れてふわっと浮かび上がって、無意識的に部屋を俯瞰しているような感覚があります。
これをメタ認知、というんでしょうか。
それこそが「建築的な視点」なんだなと気付きました。
「スペース」への意識
少し具体的な話に戻します。
例えば、自分の家の「部屋」を思い浮かべてみてください。
その時「ここにスペースがある」とは意識しないですよね。
スペースというのは、要するに「何もない」ということ。
何もないものを「スペース」と呼んで意識すること自体が、けっこう建築的な視点なんだと思います。
「余白」という言葉は市民権を得てきた感覚がありますが、あの感覚が近いと思います。
「ない」ものを意識する、のは難しい。
つまりなにが言いたいの?というと、
建築って空間なので、意識されにくい。
壁は見えるけど、空間は見えない。
「建築のおかげで幸せになった」という実感が、得られにくいんです。
本当はそうなのかもしれない。でも、遠いんです。
美味しいものを食べて幸せ、はわかりやすい。
でも、いい建築に住んで幸せ、はわかりにくい。
そういうことだと思います。
その点、片付けは、わかりやすい
部屋がきれいになれば、気持ちいい。それだけで、ちょっと幸せになる。
ここまでは、誰でもそうですよね。外側から来る幸せです。
でも、片付けの本当に効くところは、たぶんそこじゃないんです。
自分ではどうにもできなかった部屋が、片付くようになる。
すると、自己肯定感が上がるんです。
「部屋がきれいで気持ちいい」という外からの幸せだけじゃなくて、「片付けられなかった自分」から「片付けられた自分」へ、自分が変わっていく。
その成長や変化そのものが、価値になる。
それが、自己肯定感のアップにつながって、幸せになる。
片付けが人を幸せにする、というのは、たぶんこういうことなんだと思います。
しかも、いいことはそれだけじゃありません。
片付けをすると、
お金がたまるし、
時間も生まれるし、
やる気も出るし、
なぜか健康にもいい。
いい事ずくしです。
新しいことにチャレンジしてみようかな、という気持ちになって、実際にやってみたりする。
自分が動けば、人生は自然と動き出すんです。
実は、いちばんの実例は僕自身です。
片付けを通して、モノを「残す・手放す」と何百回も決めているうちに、決めることへの抵抗が、だんだん薄れていきました。
そして最終的に、14年勤めた会社を辞めるという、人生で一番大きな決断ができたんです。
片付けは、決める練習なんだと思います。
小さな決断を積み重ねた先に、大きな決断がある。
建築は「居場所」、片付けは「行動」
ここまで書いてきて、自分の中でもようやく整理がついてきました。
二つの違いを並べると、たぶんこうなります。
建築は、居場所を作る。安定を作る。
片付けは、気分を上げて、行動を作る。
どちらが上、という話ではありません。土台としての建築がなければ、そもそも暮らしは始まらない。それはそれで、大事な仕事です。
ただ、僕がいま手伝いたいのは、その人の「行動」のほうなんだな、と。
止まっていた人が、動き出す。その最初のひと押しに関われるのが、片付けという仕事の面白いところなんだと思います。
おわりに
建築より片付けのほうが人を幸せにできる、なんて書くと、怒られそうですね。異論もあると思います。
でも、建築をやってきたからこそ、片付けの効きの「速さ」と「わかりやすさ」が、よく見えるんです。
遠回りしてきたつもりは、ないんです。建築で学んだ空間の見方は、いまの片付けにそのまま使えると思っています。むしろ活かさなければいけないと思っています。
ただ、人が幸せになる瞬間に、もう少し近いところにいたかった。
突き詰めていくと、僕が片付けをする理由はそれくらいシンプルな理由なのかも知れません。
長々と書いてしまいましたが、最後までお付き合い頂きありがとうございます。
前回の記事:なぜ、一級建築士の私が、今さら「片付け」を学び直しているのか。